ボランティアするのは楽しい。されるのは気が重い?

ボランティアに関するシンポジウムの、
シンポジストだった方のお話しです。


樋口さんは、病気のため、
中学に入るころ、
体が不自由な子どものための施設に、
3年間入っていました。

ベッドでの寝たきりの生活でした。

施設には、
サンタクロースの格好をして
お菓子をくれる人や、
同じ世代の中高生
が時々やってきました。

でも、樋口さんは、
その「ボランティアさん」が来る日は、
なぜか気が重かった記憶ばかりが残っているそうです。


なぜ気が重かったのかを、
樋口さんは、こう分析しました。


こう分析しました。





「あの方たちは
自分の意思で来るけれど、
私たちは
拒めないですから」


拒めない・・・

こばめない・・・

拒否できない・・・


~ 恋するようにボランティアを―優しき挑戦者たち 
   大熊 由紀子 (著)より ~


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◎作業療法士の【支援セラピー】
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拒否できる選択肢が、

自分と同じように、
相手にもあるのか?

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デリケートな年齢のときに、
「同じ世代の中高生のボランティアさん」
というのも・・・

ちょっと・・・ね。

樋口さんありがとう。












この記事へのコメント

sakakkie
2008年05月27日 23:06
・・・そのとおりですね。
何か、こう、善意、というものの危うさを感じました。

ちょっと意地悪く考えると、

「(自分たちが考える)いいこと」を
やっている時の、ある種の傲慢さ。

また、ボランティア的なものに対する、
「感謝」の強制。
(ありがたい、と思って当然、みたいなもの)

といったものが、感じられる時がありますね。

「慰問」という言葉にも象徴されている気がします。

レクリエーションでも参加を拒否する人は、
悪者のように言われたりします。
「拒否」することも、立派な主体性なんだ、
ということをよく考えておかないといけませんね。


2008年05月28日 05:34
sakakkieさんへ
そうですね。
「『拒否』することも、立派な主体性」
なんですね。
この言葉、いただきました。
どこかで使わせていただきます。
sakakkieさん、ありがとう。

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